「ごちそうさま。」
俺は美紅の作った夜食のお茶漬けを食い終わると、部屋に二つ並べて布団を敷く美紅を落ち着かない気持ちを抑えながら見た。
俺達が寝るのに使っていいと神主が案内してくれたこの6畳の和室。
微妙に気まずい空気が流れていた。
「いくら兄妹とはいえ同じ年頃の男女ですし、隼人さんは僕たちと一緒に、美紅さんは姉さんと一緒の部屋にお通ししたほうが…。」
悟がいかにも”俺が美紅に手を出しそうで心配だ”という目つきで神主に意見を言ったが、美紅が「いえ、大丈夫です。寝る前に兄に薬を塗らなくてはいけませんから、私も一緒のほうが都合がよいのです。」と言って俺達は同じ部屋になった。
俺達は今まで、妖怪退治の仕事で同じ部屋で寝たり野宿したり、同じ空間で夜を過ごすことは何度かあったが、その都度俺は自分を自制するために美紅のわからないところで苦労していたのだった。
(布団近けぇよ……。)
隼人は美紅の敷いた二つの布団の間隔を不安げにちらりと見ると赤くなって俯いた。
「何してるんですか。
湿布変えますからここに横になってください。」
「…お前の薬効いてるし、もういいよ…。」
「駄目です。」
美紅は俺が心でそんな欲望と戦っていることも知らずに、ポンポンと布団を叩いて側に来るように促した。
俺はなるべく美紅に変だと思われないように顔を引き締めながら敷布団の上にうつ伏せになった。
美紅は俺の寝巻きの浴衣の腰帯を解き、背中をはだかせると先ほどの薬を指にとって塗りつけていく。
俺は背中の痛みなんかわけがわからなくなるくらいに美紅の指に意識を集中してしまった。
ただ薬を塗っているだけなのに、その手つきを変に考えてしまっては必死に自制した。
(ここで欲望のままに行動しちまったら美紅を驚かせてしまうだろうし、絶対嫌われてしまうよな…。
せめて兄貴としてでも側にいれるようにここは我慢しねぇと。)
「本当は明後日には学校に通う予定でしたが、任務が長引きそうで無理ですね。
お休みすることを明日の朝に電話で伝えないと。」
「あ…うん…そだな…。」
俺は上の空で返事をした。
「ちゃんと聞いているんですか?
私は別にいいんですよ、出席しなくても卒業できるんですから。
でも兄さんは授業受けられないと試験でまた苦労しますよ。
泣きついてきても知りませんから。」
美紅の言葉で俺は欲望と理性の狭間から現実に帰る。
俺達の通う高校は単位制になっていて単位を取ってしまえれば卒業できる。
美紅は高校の全ての単位を既に取ってしまっていた。
俺はと言うと毎回成績は赤点で、追試の度に追い込まれて美紅に勉強を教えてもらっていた。
「そんなこといわずにまた勉強教えてくれよ~。」
「それは兄のセリフではありませんよ、情けないですね。」
いつもの口調で呆れたように美紅の言葉が返ってくるのに、もう既に薬を塗り終わった背中にその指先がまだ意味深に滑っていた。
「あれ、もう薬塗り終わったんだろ…?」
「は、はい…。」
「お、お前、何やってんの?」
もしかしたら美紅のこの指は俺と同じ”何か”を期待しているのではないか、そんな甘い期待が湧き上がる。
今までも時々こういうことがあった。
でも美紅はいつも決まってこういうのだ。
「おまじない、です…」
「何の?」
「………内緒です。」
俺は美紅の行動の意味に自信がなくて、結局踏み出す勇気が持てずに湧き上がった期待も欲も全て表に現す事が出来なかった。
そんな二人の様子を襖の隙間から伺う者がいた。
「やはり怪しいな…兄だけでなく妹も怪しい…。」
「ちょ、氷牙、あんたいつの間に!」
「ふん、この部屋を覗く間抜けなお前の背中が見えたのでな。
覗きは良くないぞ、むっつりスケベめ。」
「…あんただって覗いてるじゃないの。」
「可憐な美紅さんがあのような馬鹿犬に…飢えたケダモノと同じ部屋になんか通すんじゃなかった…。」
「ちょ…悟、あんたまで…。」
「い、いえ、僕はあなたたち二人を探して偶然ここに来ただけですよ。」
「うそくさい…」
二人の狐が揃って悟を白々しいと言う目つきで見た。
「さて、そろそろ寝ましょう。」
美紅が隼人の着物を戻して立ち上がった。
「寝る前に俺ちょっとトイレ行ってくる…。」
隼人はモジモジしながらそう言った。
「またお手洗いですか。
私と一緒の部屋で寝るときいつもそうですね。
…まぁあれだけカキ氷を食べれば仕方がありません。
もう夜遅いですから静かに行ってくるんですよ。」
「おう、わかってるって…」
そう言いながら隼人が3人の覗いている襖を一気に開けた。
「あれ、お前ら何やってんの?」
そこには互いに縺れて逃げそびれた三獣人の姿があった。