それからどれくらい経ったのだろう。
俺はまだ生きているようだった。
頬に冷たい空気を感じる…。
辺りはもう夜なのだろう。
体はまだ少し痛むけど大分マシになっている気がする。
目を開けて状況を確認しようと思うけど、何だか心地よくてまだ閉じていたい。
暖かくて…気持ちいい…この光は…美紅の治癒術…?
「…美紅…。」
俺は眼を閉じたまま、俺に術をかけてくれる美紅の腕を掴んで引き寄せようとした。
「何をするんですか!この馬鹿犬…!!」
その言葉に違和感を感じた。
言葉の使い方事体は美紅っぽい、でもその声は明らかに男のものであった。
「な、なんだぁ!?」
隼人はギョッとして飛び起きて目を開けた。
そこには美紅と同年代くらいの見知らぬ少年の姿があった。
「やっとお目覚めですか。
はじめまして。
僕は霧峰神社の神官を勤めています霧峰悟といいます。」
霧峰悟と名乗ったその少年、隼人に掴まれた腕を乱暴に振り払いつつも、その振る舞いに全く似合っていない穏やかそうな(しかし何処となく黒い感情を秘めた)笑みを浮かべながら頭を軽く下げた。
眼鏡をかけた知的そうな美少年だった…が、第一印象は”いけ好かない奴”だった。
「…兄さん…。
体は痛くありませんか?」
悟の奥からひょこっと美紅が顔を覗かせてそう尋ねる。
隼人はその姿に安堵して、一瞬言葉に詰まりながらも答えた。
「あ、あぁ…お陰様でな。」
「そうですか、良かったですね。
こちらの悟さんが兄さんの怪我を見事な治癒術で回復させてくれたのですよ。
お礼をちゃんと言ってくださいね。」
「あ、あぁ…。
ありがとう、助かったよ。」
「いえ、怪我をした人を癒すのが私の役目ですから。」
悟は隼人を黒い感情を秘めた笑顔で見下ろしながら若干棘のある口調で返した。
隼人は悟のその態度に腹が立ったが、助けてもらった恩もあるし、ここはぐっと堪えた。
「全く、無茶しすぎですよ。
悟さんたちがあの時助けてくれなかったら私たちどうなっていたか…。」
俺は美紅の言葉で、自分がもう少しで怨霊の群れに命を奪われていたかもしれない危機的な状況だったことを思い出し、眉を潜めた。
「ここは…。」
隼人はキョロキョロと辺りを見渡す。
どうやらここは木造の建物の一室のようで、部屋の広さは6畳程、中には俺と美紅、そしてこの悟という少年以外にはいないようだ。
「ここは霧峰神社ですよ。
私たちが来るのが遅いので、態々探しに来てくださったところを助けていただいたんです。」
美紅が俺の背中に塗れ布巾を押し当てながらそう言った。
美紅の手の動きに合わせて俺の背中に走る鈍い痛みに疼く。
「ッ…!」
ふわっと香るかぎ慣れた匂い…これは美紅が調合した薬草の匂い。
美紅が塗っているのはただの塗れ布巾ではないことを察した。
「やはり傷を術で塞いだとはいえ痛みは残っているようですね。」
「えぇ、でもこうして薬を染みさせておけば明日には痛みは大方ひくでしょう。
どうもありがとうございます。」
「いえ、美紅さんこそ、霊力が底を尽きるまで治癒術をかけ続けてお疲れになったでしょう。
今夜は夕食を召し上がって、ゆっくりお休みになってください。」
悟が俺に見せた笑顔とは違う、黒いものを含まないピュア?な笑顔で美紅にそう笑いかけた。
「どうもご親切に、感謝いたします。」
美紅はそう頭を再度下げながらお礼を言うと、不服そうに悟を見る俺にも頭を下げるように促す。
仕方無しに俺も不承不承頭を下げた。
悟は「いえ、では姉がすぐ夕食を運んで参りますから」と言って部屋を出て行った。
その後姿に長い猿のような尻尾が揺れるのをみて、奴が獣人だったことに気が付いた。
「…助けてもらったのは感謝してるが、あいつ、嫌な感じだな。」
「悟さんですか?
とても良い人ではないですか。
私が霊力が無くなって治癒術をかけれないのであの人がここまで治癒してくださったんですよ。
それに兄さんの背中に張ってある痛み止めの湿布ですけど、材料の薬草を採取するのを手伝ってくださったんです。」
「いや、お前には親切なんだろうが、なんか俺には態度悪くねぇ?」
「そうですか?」
美紅はさして気にもとめない様子で俺の背中の湿布を淡々と塗っていた。
「お前も…サンキュな…。
霊力尽きるまで頑張ってくれたんだろ。
その…怪我とか、無いか…?」
ふと美紅の手の動きが止る。
俺の背中側にいる美紅の表情は伺えないが、なんとなくだが、美紅がどんな顔をしているのか想像がついた。
「お陰様で、私は怪我ひとつありません。
でも…あんな無茶はどうか二度としないで欲しいです…。」
「うん…ごめん。」
(俺がもっと強くなればいいんだ…。
そうすれば、美紅にこんな顔をさせなくても済む。)
「…でも…守ってくれて…ありがとうございます。」
珍しく美紅の口からお礼の言葉を聞いた俺は、何だか涙が滲みそうになっていた。
「良い雰囲気のところ悪いんだけど、お夕食持ってきたわよ。」
声のほうを振り返ると、巫女装束を身に纏った狐獣人の女がお盆を手にニヤニヤしていた。
世代は俺と同じくらいか、長い黒髪を後ろでひとつに束ねていた。
「あ、貴方は、私たちを助けてくれた葉月さん…!」
美紅の言葉に反応して彼女は俺達にニカッと笑いかけながら、盆を持ってこっちへやってきた。
そこには夕食というにはあまりにも悲しい、おそらく料理の残骸であろう黒焦げの物体が乗っていた。
「はい、夕食。」
彼女があははっと笑いながら差し出した盆に、神崎兄妹揃って言葉を失ってしまった。
「………。」
「はい、夕食!」
彼女は懲りずにもう一度盆を置き直した。
「…ちょっと、焦げちゃったけどね。」
と若干申し訳無さそうに笑って見せた。
(…これが、ちょっと?)
隼人はあんぐりと口をあけたまま盆の上の物体を観察した。
光の当たり具合で黒く見えるだけかと思ったがやはり違う。
物質そのものが芯から焦げている。
もとの食材が何であったのか、その面影すら既に無い。
「あのさ…これ、何処を食うの?」
隼人は恐る恐るそれを指差して問い掛けた。
その刹那、葉月の眉がピクッと引きつったのを美紅は見逃さなかった。
「あ、葉月さん後ろ!」
美紅が突然そういって指を指すと、後ろを振り向いて葉月の視線が外れている隙に、俺の口を美紅が強引に開けて、さっきの焦げた物体を俺の口に放り込んだ。
しかも美紅のぶんまで!
(な、なにしやがる…!美紅っ…!
ウグッ、苦い…マズイ…背中の傷に染みる……気がするぞ…!!)
隼人は必死に小声で美紅にしか聞こえない声で訴えた。
(我慢してください。
おもてなしで出された料理を食べないのは失礼でしょう!
兄さん、頑張って食べてください!)
(何故俺だけが!)
そう思うも、これは彼女なりの持て成しなんだと思って、勇気を振り絞って口の中のものを噛むと、ゴリッと食べ物から想像がつかない音を立てて、旨みの微塵も無い苦いだけの味が広がった。
霊力が回復するどころか、逆にダメージを受けそうな勢いだ。
「何?別に後ろには誰もいないわよ。」
葉月がそう不思議そうに言いながら振り返った。
振り返られたものだから、口の中のものを吐き出すわけにもいかない。
「…気のせいだったみたいです。
葉月さんの後ろに誰かいらっしゃったと思ったんですけど。」
「ふぅん、氷牙の馬鹿かしら。
あんた達にデザートのカキ氷をご馳走するって張り切ってたから。
まぁいいわ、後で訊いてみる。」
ふと、盆の上の料理が消えていることに気がついた葉月が嬉しそうに飛び上がった。
「私の料理食べてくれたんだ!
どうだった?味は?」
(墨の味しかしねぇ…)
と思いながらも口の中のものと格闘中で喋れない隼人に変わって、美紅がにっこりと愛想笑いを作って答えた。
「えぇ、泣くほど美味しいみたいですよ。
兄が私のぶんまで食べてしまいました。」
「えっ……そんなに美味しかったなんて!
凄く嬉しいよ!!
じゃさ、私がアンタのぶんまで御代わり作ってきてあげるからちょっと待ってくれる?」
「いえ、それには及びません。
傷の手当てまでしてもらって夕食まで出していただいたいて。
葉月さんも先の戦闘でお疲れでしょう。
お風呂でも入ってきてください。
私のぶんくらいは自分で作りますから。
お台所を少々貸して下さい。」
「でもアンタ霊力無くなってふらふらでしょ。」
「いいえ、これくらい大丈夫です。」
「そう?悪いわね。
じゃあお言葉に甘えさせてもらおうかしら。」
美紅は葉月の言葉にほっとしてため息をつきながら思った。
(あんなものを食べさせられるくらいならフラフラでも自分で作るほうがマシです。
幸い予備霊力はまだありますし)
予備霊力とは、術等に使う霊力とは別に獣人や妖怪がこの世で存在しつづける為に必要な霊力のことで、これまで無くなってしまうと獣人たちは存在する力が奪われてしまって死んでしまう。
これらは普段無意識に体の中に宿り、術などで霊力を使い果たしても簡単には死なないように自然に留められるようになっている。
(ずるいぞっ!美紅!自分だけっ)
隼人は美紅に涙目で耳打ちした。
(ちゃんと兄さんのぶんも用意してあげますから泣かないでください)
(…美紅、これの口直しで美味い物食わせてくれないと俺泣くぞ…)
(はいはい、わかりましたから。
兄さんはここで大人しく待っていてください。)
夕食の件はこれにて一件落着だと思ったが甘かった!
「夕食の後はデザートだ!
霧峰神社名物カキ氷をたらふく食らえ!!」
葉月の後ろから男の声がしたかと思うと、二人のいる部屋の空気が急激に冷め始め、雪の結晶が出現した!
「氷牙!あんた!」
葉月が制しようとしたが遅かった。
「うるさい、どけっ!葉月!
霊術 氷柱落とし!!」
気合たっぷりな術の詠唱が終わると共に、二人の頭上から巨大な氷が降ってきた!
ドーン!!と音を立てて器用に先ほど葉月が持ってきた盆の上にそれは刺さり、刺さった衝撃で見事にバラバラの氷の粒(カキ氷状)になった。
術を詠唱した本人、白髪に赤い目の狐獣人の隼人と同世代くらいの少年が、シロップを持った両手を差し出して言った。
「苺とブルーハワイ、好きなほうを選べ!」
—–暫くの沈黙の後。
「じゃあ…私は苺で。」
美紅は苺シロップを氷牙と呼ばれているこの獣人から受け取ると、目の前の盆に盛られたカキ氷にかけて黙々と食べ始めた。
「美味しい…けど寒いです…。」
少し底冷えするこの季節の夜に似つかわしくない冷たすぎるデザートを口にしながら、美紅は桜色の唇を紫に染めて震えながら感想を述べた。
俺は氷牙からブルーハワイを受け取ると、目の前の奇妙なカキ氷を青く染めて掬って食べた。
「美味い…けど寒い…。」
ごく普通のカキ氷、だがあれの後だとなんでも美味く感じるのは気のせいではないだろう。
「だろう!
やはり霧峰神社の名物は、この俺のカキ氷で決まりだろう!」
「ちょっと氷牙!
霧峰神社の名物は、昔から稲荷寿司に決まってるでしょーが!
何がカキ氷よ、自分の霊力の自慢がしたいだけでしょうがあんたは!!」
「お前が作るアレはただの消し炭だ!
アレが稲荷寿司であろうはずもないっ!!」
隼人が言いたくて仕方が無かったセリフをこの氷牙という狐獣人が言ってくれた。
「何さ、さっきこの人泣きながら美味しいって食べてたわよ!」
「ふん、大方お前に気を使って泣く泣く食ったんだろうが!
マズイマズイ消し炭をな!」
「なんですって!!
あれは少し焦げちゃったけど、立派な稲荷寿司よ!」
二人のやり取りを聞いていた美紅が、カキ氷を食べて体を凍えさせながら割って入った。
「…稲荷寿司、どうやって作ったらあんなになるんです。」
美紅のスプーンを持つ手が、寒さとは別の原因で震えていた。
「ど、どうって、油揚げにごはんを詰めて、こうやって…」
葉月は指先に念を込めると、ハッ!!と掛け声を出した。
とっさに嫌な勘が働いて俺達二人はカキ氷の乗った盆から飛びのいた。
ボワッと見事な炎が浮かび上がり、目の前の盆がメラメラと燃え、カキ氷がみるみるうちに溶けていく。
「ああっ!何をする貴様!
俺のもてなしの心!カキ氷が!!」
「うるさい馬鹿氷河!
…とにかく、こうやって作ったのよ。」
美紅は暫く困り果てた様子で葉月と見詰め合っていたが、やがて大きなため息をついた。
「食材の無駄遣い…。」
「なんですって!!」
美紅と葉月の間に火花が飛び散り始めたとき「やめなさい」と冷静ながらしっかりとした威圧感のある声が響いた。
二人はにらみ合うのをやめ、声の主を振り返った。
そこには先ほど隼人に治癒術をかけてくれた悟を連れたこの神社の神主らしきお爺さんが立っていた。