…さん…兄さん…
あいつの声が聞こえる。
俺を呼んでいる声。
へへっ…もっと俺のこと呼んで…?
もっと俺に…触れて…
そう…そうやってこっちに手を伸ばして…
ん?
何でそんな怖い顔してるんだ…?
「起きてください、朝ですよ!」
その声と共に入り込んでくる冷たい空気。
呆れたような怒ったような顔でベットの上の兄を見つめる切れ長の目。
その手にはさっきまで兄の体を暖かく包んでくれていた布団が。
「目が覚めましたか?
何時まで寝ているんですか。
まったくいつまでたってもネボスケさんなんですから。」
兄は聞きなれたその声を聞きながらゆっくりと起き上がると、
寝癖でボサボサの頭をポリポリと掻きながらしまらない顔で言った。
「おはよ…。」
「おそようございます、ですね。」
軽くため息をつきながら妹が真顔で答える。
「お前朝からつれない…。
さっきまではすっげー大胆だったのに…。」
へらっと気の抜けたふやけた顔をしながら頬を染める兄。
妹は怪訝な顔をして首をかしげながら扱いなれたように言った。
「また寝ぼけて訳のわからないことを。
とにかく、いい加減起きないと遅刻しちゃいますよ。」
「んー…
今日は学校休みだろ…日曜だし。」
兄はぼけーっとしたまま壁にかけてあるカレンダーに目をやった。
そのカレンダーで今日は確かに日曜であることが判明したが、それと同時に今日の日付に赤字でくっきりと書いてある文字にはっとした。
「今日は妖怪退治のアルバイトの日ですよ。
依頼主の方がお住まいの霧峰神社には朝から出発しないと約束の夕刻には間に合わないと兄さん仰ってたではないですか。
だから、私がわざわざ起こしに来てあげたんです。」
「あー…そうだったな~…しゃーない、起きるか…。」
兄は軽く伸びをした。
「まったく、手間のかかる……。」
妹が何かを言いかけたまま止めると、ギョッとした顔で兄が寝巻きとして履いている短パン…正確には股間辺りを見ながら手にもっていた布団をバサッと落としてしまった。
妹の行動を不自然に思った隼人はまだ少し寝ぼけた頭のままその視線の先を追いかけて見た。
そこには元気に存在を主張をしている自分の下半身の膨らみがあったが、先ほどの美紅の反応を思い出すと同時に冷や汗が流れ、一気に眠気が覚めてしまった。
「あ…いや、これは…その…」
健全な若い男子にはごく当たり前の現象で別段恥じることは無い。
でもそれを妹(しかも特別な想いを抱いている対象)に見られてしまったことに混乱を隠せず、気まずい表情で美紅が先程落とした布団でそこを隠した。
内心、妹の反応が怖くて仕方が無かった。
ずっと一緒に暮らしていたが、兄として以外の男の一面を見せてしまったのはこれが初めてだったのだ。
(まずいなー…不潔とか気持ち悪いとか思われたりしたら最悪だな。)
そんなことを思っていると上から妹の淡々とした声が降って来た。
「やっぱり巨乳さんが好きなんだ…」
青ざめた隼人が美紅を見上げると、その手には『デカパイパラダイス 最新号』(しかもサブタイトルに”世界の爆乳獣人祭”とか書いてある)言わばエロ本が握られていた。
あれは昨日俺のシスコンっぷりを心配したクラスメイトのやつが「これを見て妹以外の女に興味を抱けるようになれ!」と貸してくれたお宝本だった。
でも結局本の中身にはあまり興味がもてなくて、いつもの俺のお宝を引っ張り出してあの本に挟んでそのまま寝ちまったような…。
(そうだった、俺のお宝があれには挟まってたんだ…!あれに気づかれたらまずいっ!)
ゲンナリした表情でそれをぱらぱらめくる妹を見て脂汗がにじみ出る。
「み、見るなよっ!」
隼人は妹の手から必死になってデカパイパラダイス最新号を取り戻すと、すぐさま亜空間を作り出して自分の霊珠の中へしまった。
その様子を見て少し目を見開いて唖然とした様子の妹が言った。
「…そんな大事な本なんだ…」
「いや、大事っつーか、なんとういか…」
(よかった…この様子だとあれには気づかれていない…けど、なんか…美紅、怒ってねぇか!?)
隼人の全身に妙な緊迫感から冷や汗が溢れ出す。
「別に…保健体育の授業で習いましたし、男の人が魅力的な女性の裸にそうなることは理解していますよ。
ですが一応エチケットとしてああいった本は目に入らないところに隠しておいてもらいたいものですね。」
「…お前、怒って…る?」
「別に怒ってなんか。
でも人が早起きして今日の妖怪退治の為にお弁当まで用意して頑張っているときに…
朝から一体何考えてるんですか、エロ馬鹿兄は。
そういうことは今日やるべきことが終わってからにしてください。」
(やっぱ怒ってるじゃねーか…顔に不機嫌が滲み出してるし…
あ、でも早起きして弁当作ってくれてたんだ…すげぇ楽しみ…
でもちょっと待て!朝からエロ妄想してると思われてないか?
確かに昨夜は妄想したが、今朝はしていないぞ!)
隼人は口をパクパクさせながら心でそう叫んでいた。
「ち、違う、別に今朝エロイ妄想してたわけじゃねぇって!!
男なら朝はこうなっちまうんだよ!」
「嘘。」
「嘘じゃねぇよ~!
お前、〇起のこと知ってても朝〇ちのこと知らねーのな・・・。」
「朝から卑猥そうな言葉を並べて使わないで下さい…!」
「だから、誤解だって・・・!
さすがに朝からそんなことはしねーってば!」
「ではどうして。」
美紅は俺の必死な様子に少し話を聞く気になったようで、眉を吊り上げ腕を組みため息をつきながらも、それなら弁解して御覧なさい、といわんばかりにこちらを見た。
(・・・お前でちょっとエッチな夢見てた気がするけどこれは内緒にしておいたほうが良さそうだな・・・。)
「えっと・・・あの本をしまい忘れてたのは悪かったよ。
でも、お前は女だからわかんねーだろうけど、男は起きたら体が起動テスト?みたいなのを勝手に始めるっつーか・・・別に何もやましいことがなくてもなる生理現象っつーか、そんな感じだから。
別に妖怪退治の仕事のこと不真面目に考えているわけじゃねぇよ。」
「…そうなんですか?」
しどろもどろな説明ではあったが、妹にはなんとか嘘はついていないことは伝わったようで(話題的に恥ずかしいのか顔を赤く染め怒っている風だったが) さっきよりも表情が和らいだ。
どうやら美紅の怒りは少しは静まったようだ。
隼人は勢い良く頭を何度も縦に振った。
「その割には寝ぼけて今日の任務忘れてましたけど…そのことはもういいです。
それより、もうあまり時間がありません。
さっさと顔を洗って支度してください。」
美紅はため息をつきながらそういうと、朝食を暖めるために台所のある一階へ降りていった。
隼人は一人取り残された部屋でホッとため息をつくと、先程しまったデカパイパラダイスを亜空間より取り出すとパラパラとめくった。
「良かった、こればれなくて…焦ったぜ…。」
そこにはスクール水着の美紅の隠し撮りスナップがあった。
学校に美少女の隠し撮りをしているハイエナ獣人がいて、そいつから巻き上げたやつをこっそり愛用していたなんて
ばれたらどんな顔をされるだろう。
洗面台に向かい、美紅が作ってくれた寝癖直しのスプレーを髪にかける。
ミントの爽やかな香りと共に朝を実感する瞬間だった。
冷たい水で顔を洗い、再び鏡に向かう。
「シャキッ!」
いつもの決り文句を言った後ふと先程の自室での出来事を思い出す。
(美紅の奴、アレ見ても案外けろっとしてたな……俺ってやっぱ男として見られてない…?)
そんなことを考えながらしょぼくれた気分で歯を磨いていると、台所のほうから違和感のある匂いがしてきた。
いつも朝食で美紅が作る味噌汁の匂いだが、いつもと少し違う…まさかと思うけど…
「おい、美紅、味噌汁吹きこぼれてるぞ!」
「え?」
突然背後から自分に向けられた兄の言葉にはっとした美紅は慌てて火を消した。
美紅の目の前にはシュウシュウと音を立てながらガスコンロにお味噌汁のこぼれたものが焦げを作りながら消えていっていた。
「どしたんだ?味噌汁を焚き詰めるなんてお前らしくねぇな。」
「べ、別に、少し考え事をしていただけです。」
「考え事?」
隼人が不思議そうに問い返すと、美紅はチラッと横目で兄の下半身を見やるとボソッと呟いた。
「もう戻ってる…。」
美紅は普段は馬鹿丁寧な敬語を使うが、独り言や人に聞かれていないと思う言葉などはよくこんな風に無意識に普通の言葉として発しているのだが、今の言葉を聞き逃さなかった隼人は自分の股間を妹が意識していることに驚き、心拍が高まるのを感じた。
「あ、当たり前だろ…朝のあれは普通はほっときゃ治まるからな…。」
隼人が顔を真っ赤にしながら期待と不安が入り混じった複雑な表情で妹を見ながら答えると、妹は飛び上がりそうなくらい驚いて慌てながらすぐさま弁解をしてきた。
「い、今の聞いて…いえ、別に…別に、気になんかなってませんから!
あのままでいられたら一緒に行動する私が困るので確認をしただけです…!
…えっちだとか、思わないで下さい…。
思ったら、どうなるか、わかりますね?」
「お、おう、全然思ってねえって!」
美紅の言葉に恐怖を感じながらも、隼人は妹が全く平気ではなかったという事実がわかってほっとした。
「なんですかそのわざとらしい反応…。」
「え!?そうか!?
それよか俺腹減ったなぁ。朝飯まだ?」
「…誰の所為で朝食が遅くなったと思っているんです。
煮詰まったお味噌汁と塩鮭で良かったらありますけど。」
「おう!早く食べて妖怪退治に行こうぜ!」
いつもよりテンションが高い兄といつもより微妙にぎこちない妹…。
いつもと少し違う慌しい朝はなんとか過ぎ去り、今日も万全の体制で妖怪退治に臨めるものだと思っていた。
今朝の事件が引き金で後に起こる事態に遭遇するまでは。