「これは…」
目の前の美しい泉を訝しげに眺めながら妹が呟いた。
「美紅ーーー!早く来いよ!!ここで一休みしていこうぜ!」
妹の警戒した様子とは正反対に、兄はおおはしゃぎだ。
HAYATEを泉の辺に置くと、おもむろにシャツを脱ぎ始めた。
「に、兄さん、何してるんです。」
妹が視線を逸らしながら若干早口で問う。
「何って、服を脱いでる。」
んしょ、と汗で張り付いたTシャツを脱ぎ捨て、ズボンに手をかける。
「そんなことは判っています。
まさか、泳ぐつもりじゃないでしょうね。」
今度は少し頬を染めて背を向けながら兄に言葉を放つ妹。
いつも冷静な彼女にしては珍しく狼狽した様子は兄には伝わっていない。
「そのつもりに決まってんだろ!
水浴びついでに魚でも捕まえて…」
「こんな得体の知れない泉に丸腰で飛び込もうというんですか!」
落ち着かない様子の妹とは裏腹に能天気な兄はきょとんとして服を脱ぐ手を止めた。
その気配を察した妹が安心したかのようなため息をつく。
「なんだよ、もう俺の気分はとっくに泉にダイビングしてたのによ…。」
兄の尻尾が力なく垂れる。
妹はようやく兄に向き直って、厳しい表情で言った。
「毒草しか生えないうえ鳥一羽飛んでいない森にいきなり現われた泉ですよ。
どう見ても不自然でしょう。」
「んー…。
でもよ、こう異様に暑くて…やたら腹は減るし…。
そんなときにこんな場所に出たら普通飛び込みたくなるだろ。」
「私なら絶対そんなことはしません。」
力強く否定する妹。
「そりゃ、お前はカナヅ…チ…」
言いかけてひきつった表情で言葉を飲み込む兄。
自分の欠点を指摘されるのが嫌いなプライド高い妹のキツイ眼光を感じたからであった。
「ま、ともかくさ」
兄は誤魔化すように続けた。
「見たところ、この泉に霊力は感じないし。
妖怪が潜んでるって事は無いんじゃね?」
妹は若干不機嫌な顔で答えた。
「…確かに。
ですが高度な幻の術を使って霊力の痕跡を消す妖怪だっています。
それに…この辺りはまだ田舎ですけど、北に工場が沢山ある町があります。
普通の人なら汚染された水を飲んだところでお腹を壊すくらいですけど…
もし兄さんがそんな水を飲んでしまったら…。」
妹は真剣な顔をして俯いてしまう。
「………。」
兄はしばらく困ったように妹をそのまま見下ろしていたが、やがてそっとその頭に手をぽんっと乗せた。
「そうだな。
お前の言うとおりだ。
俺、いつも無鉄砲過ぎてお前に世話かけてばっかだな。」
妹が顔を上げると、兄の柔らかい笑顔とぶつかった。
「…ちゃんと、判っているのならそれでいいんです。
気をつけてください。」
妹が少し表情を崩すと兄は安心したようにへへっと笑って見せた。
「ん。サンキュな、美紅。
とりあえず、いつもみたく汚染チェックしてくれるか?」
「はい、わかりましたけど、その前に兄さん…」
「ん?」
少し困ったように頬を染めた妹と意味がわからずキョトンとした兄。
「服を着て…くれませんか。」
「んあっ?あぁ…そうだった。」
兄は言われて初めて自分が上半身裸である現状に気が付いたのだった。
下に放ってある服を拾いながらちらっと妹を見て。
「何赤い顔してんだお前?
もしかして…照れてんの…?」
ニヤニヤからかうように笑って見せた。
「ち、ちがいます!
別に、恥ずかしくなんて…!
大体、いつも怪我の手当てで兄さんの裸くらい見慣れてますから…!」
「じゃあ、暑いし別にこのままだっていいだろ。」
「駄目です、そんな原住民じゃあるまいし。
文化人べきたるもの服を身に纏うのが………」
妹の弁解のような説教のようなものを聞きながら兄が苦笑いを浮かべ、
不自然な森の泉の辺に和やかな空気が流れていた。
そんな二人を他所に、泉の奥のほうがそっと不気味に揺らめいていた…。